やりたいことが見つからない。
人生が何か物足りない。
こんな焦りを感じたことありませんか。
僕も今までずっとそうでした。
楽しいことがないまま、歳をとっていくのが怖かったです。
そんな焦りを感じている真っ只中、
本屋さんで、「とある1冊の本」と出会い、
フィジー留学を決心し、そこで得られた経験が
僕の今の人生にも生かすことが出来ているのです。
現地で学んだ教訓について、今回はお話して行きます。
留学のきっかけ
当時、大学2年生だった僕は、
幼少期にこじらせた自分を出せないコンプレックスにもがき苦しみ、
うまく友達を作ることができず、孤独でした。
コミュ障である自分に嫌気をさしていました。
ただ、そんなこと言ってられません。
大学4年生になれば就活を控えていたのです。
ですが、特に人生で成し遂げたい目標もなく、
気になる会社、やってみたい仕事もなく、
バイトと講義だけで終わっていく毎日に
僕は焦ります。
「ああ…どうしよう…自分には誇れる物がなにもない」
「自分に何か武器を身につけなきゃ就活浪人になっちゃう」
めちゃめちゃ焦っていました。
実は、これが自己啓発本・ビジネス書にのめり込んできっかけになるのですが
本を読みまくって知識つけたら、
いざという時にその知識を活用できて、相手が悩んでいる時に助けられたり
何か貢献できる様になれるんじゃないか。
それで、
「僕が動ければ、人から認められるんじゃないか」そう思い始めました。
そんなとき、
「海外で働こう 世界へ飛び出した日本のビジネスパーソン」
この1冊の本に出会いました。
この本は、海外で活躍する25人の日本人にインタビューをした本なのですが、
自分で考え決断し、行動する姿であったり、
最後までやり遂げる姿勢を感じられる内容に心を動かされました。
「自分の存在を知らない土地にいけば、執拗に思い悩んだり人目を気にせず、ポジティブに物事を考えられるようになるんじゃないか」
「その環境で自分を出すことができれば自信が持てるんじゃないか」
そう思ったのをきっかけに、1年間で必死に貯めたアルバイト代で
就活前の大学3年生の冬に、フィジーへ1ヵ月の短期留学に行きます。
飛行機を降りたそこには。
初めての国際線、
日本語が一切聞こえてこない不思議な感覚、
日本円以外の貨幣に触れたり、
現地の外国人とカタコト英語が奇跡的に伝わったり、
すべてが初めてのことだらけで、何もかもが新鮮でした。
フィジーには、道で通りがかった知らない人にも
「ブラ!(こんにちは)」って挨拶する文化があって
街ですれ違う度に、
満面の笑みで「BULA!」って言ってくれた時には前向きな気持ちになれました。
現地では、語学学校の学生寮に入り、平日は英語を学びながら、
休日は現地の人と交流しに、街に遊びに行ったりもしました。
そこで僕が感じたのは、
フィジーで関わった人たち全員に共通する部分として、
毎日、その時間、その瞬間を楽しんでいるように感じました。
何時も、表情から笑顔が溢れ出ていました。
とにかく、みんなフレンドリー。
友達じゃなくても、通り際に握手を交わしたり、ハグしたり、
飲み屋街で流れる音楽に合わせて、ワイワイ踊ったりと、
バスの中でかかる音楽と共に、隣にいる人と一緒に歌ってみたり。
何をするにも、笑顔が絶えなかったです。
日本人を目の前にしても、それが変わることはありません。
これが、国民の多くが幸せを感じている理由なのかな?
そう思いました。
日本にいる時とは温度差は激しすぎて、最初は驚きを隠せませんでしたが、
同時に自分を出せるのって、羨ましいな~という気持ちにもなりました。
フィジーという国は、決して裕福な国ではありません。
僕自身、現地の食が合わず、1か月間ずっとお腹を下していたので、
いかに日本という国が、食に恵まれているというのも痛感しました。
自分の状況下が貧しくたって、
今この瞬間、健康で居られることに感謝して目一杯楽しんで生きている
そんな様にも見受けられました。
約1ヵ月で得た教訓がありました。
それは、日本では特に重要視されている、『常識的で正しくあること』
社会で活躍するためには、特に大切なことだと思い込んでいましたが、
正しいとも限らないという、日本では学ぶ事ができない貴重な教訓を教えてくれました。
「自分らしさを出していいんだ!!!」
ということを、このフィジーの環境で得ることができました。
帰国時には、留学前より少し自分に自信がついた気がしましたし、
フィジーにいたときのように、
笑顔を大切に、自分らしさを出せるような生活をしよう!
考え方1つで生活の質は大きく変わるんだと自負していました。
僕が帰国して、教訓から見つけた答えとは
残念ながら、帰国して数か月経つと、
あれほど強く持っていた『自分らしさ』を出すことができず、
留学前の自分に戻ってしまってしまったのです。
この差は、なんだんだ。
あの一か月間だけ自分が努力していたからなのか。
全く違いました。
「環境の差」だけだったんです。
それは、環境っていうのは人生そのものを作り上げているからですね。
↓
『考え方』が変われば『行動』が変わり
↓
『行動』が変われば『習慣』が変わり
↓
『習慣』が変われば人生が変わるのです
人間っていう生き物は、入力と出力、
インとアウトで出来ているから
入力(マインド、判断基準、価値観)入って来るものが変われば
出力(行動パターン、話す言葉、口調)まで変化してしまいます。
やりたいことが見つからない、人生に物足りなさを解消するためには?
そんな状況を打破する為には
『環境を変えること』
それだけです。
大きく分けると、
学ぶ人、情報先、仕事、人間関係です。
そのうち、今の人間関係を切り替えることは孤独感が強いので難しいと思います。
しかし、付き合う人から得られる影響は絶大です。
ネガティブな人と付き合えばネガティブになりますよね?
要は、年収、性格や考え方、マインド、判断基準、価値観などは
近しい10人の人によって変わっていくのです。
なんとなく思い当たる節がありませんか?
ここで、あなたの周りのよく関わる人を、10人思い浮かべてみてください。
もしくはあなたの理想の方はいますか?
僕自身、友人はほとんど会社員だし、
日々の仕事に追われていると、関わる人って職場の人だけだし、
そんな環境の中で生きていたら、
どんなに変わりたい強い気持ちがあっても、
一人で悩んで誰にも相談できなくて、
一歩が踏み出せなかったのだと痛感しました。
だから、関わる10人の人を変えれば、自分はもっと成長できると思ったんですね。
僕がした行動は、いきなり仕事を辞めるとか、
友達との関係をバッサリ切るとかではありません。
いきなり180度、環境を変えたのではなく、徐々に関わる人を変えて行きました
僕の場合は、素の自分をもっと出せる様になりたかったので、
だから、まずは「我慢をせず、自分らしさを貫く生き方」をしている人を、
まずは一人見つけよう。という意識で生活していきました。
すると、丁度良いタイミングでFacebookの眺めているとき、
目に入ってきた1つの広告をきっかけに恩師と出会い
その方からネットビジネスを学び始めるきっかけとなりました。
・初めて、人に読んで貰うための記事を書きました。
文章力が無さ過ぎて、1記事に5~6時間も時間がかかるのが嫌で、
逃げ出したくなりました。
・YouTubeにアップする動画を撮るのが恐怖で仕方ありませんでした。
・勇気を出して上げた動画に、早速「消えろ」とコメントされました。
ショックすぎて、動画を全て非公開にしました。
だけど、求めくれる人は1000人に1人はいるだろうと、
本音を語った動画をつくりました。
すると、
「ありがとうございます!!」
「めちゃためになりました!」
「とても救われます」
こんな声も頂くようになって、動画を楽しみにして下さる方も中には出てきました。
気づけば、少しずつ恩師の周りの人と関わる機会も増え、
自分の幅も上がり結果も出始めていました。
この、学ぶ人、情報先、仕事、人間関係の環境を
少しずつ変えていっただけです。
「自分らしさ」って探すものではなく、
環境を変えて行く過程で、結果的にそうなるものなんですよね。
初めから自分の中にあるものではなく、
何かに悩みながら何かを決めていく中で、
苦しみながらも葛藤しながら生きていく中で、自然と作られていくものです。
あなたが今まで「歩んできた過程」が自分らしく生きる支えとなるのです
もし「このままでいいのかな?」
そう不安に思っている気持ちが1ミリでもあれば、
まずは身の回りで関わる人を1人でも変えてみたらどうでしょうか?
最初は不安だと思います。
ただ、環境を変えると人生が大きく変わっていきますよ!
逆に、今の環境に不満があるのに環境を変えようとすらしない人…
環境なんか変えなくても自分の力でやっていけると過信している人…
そんな人はあっという間に1年、また1年と時間が経って後悔することになります。
もっと、周りを頼っていいんです。
現状を変えたいのであれば、今までしてこなかったことをしてみましょう。
今回のような体験記をどんどん載せて行きますので、
気になる記事がありましたら、ぜひ覗いて見てください。
下記にどんどん更新していきます。
【第1話】 自己啓発を学ぶのは「逃げ道」だった
【第2話】 自己啓発にお金を使って 達成感や高揚感を得るのでお金使いすぎて借金393万円と膨れ上がるばかり
【第3話】 血だらけの光景が、心の扉を完全に閉ざしました
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