取り柄がなくて、不器用で、心を閉ざした自分が嫌いだった。 そんな自信喪失した僕が人の役に立てる生き方を選択できたTAKAの人生ストーリー

はじめまして。

このブログをご覧くださり、ありがとうございます。

TAKAと申します。

僕は、大学を卒業し、新卒で入った会社では

入社3年目にして、年収474万円の家売るオトコでした。

会社にも恵まれ、順風満帆と言いたいところですが、

うつ病と頭の病気をきっかけに即退職。

退職後の約1年は、実家に引きこもり状態。

完全に途方に暮れてしまいます。

そんな中で、自己啓発に393万の借金を抱えてしまうのです。

そこから、貯金残高2140円、ビジネス経験や知識もゼロの中、

パソコンとスマホ1台で、インターネットで作ったブログ記事を広告に出して、

始めて4か月で、28万円の利益を文章だけで叩き出します。

ようやく、借金完済を今年中に果たそうとしています。

「自慢ですか。」

「話、盛ってるんじゃないの?」

「28万とか、しょぼいね。」

いろんな意見があると思いますが、

事実として、僕は紛れもなく平凡未満の人間でした。

というのも、1年前までの僕は、

☑表情なし、愛情なし、人情なしで、ロボットみたいな人間でした。

☑将来の夢は何もなく、聞かれた時は、安泰で親孝行になりそうな「公務員」と答えていました

☑本当はもっと仲良くなりたいのに、誰に対しても壁を作ってしまい本音を出せず、コミュ障でいつも独りぼっち

☑怒られるのが大嫌いで、先生に「コラ!」と一言言われるだけで、オドオドして震えてしまう

☑人に嫌われたくないから、自分に嘘をついて装ってしまう

といったような、とても恥ずかしい人生を送ってきました。

この記事では、

僕の生い立ちからも垣間見える、成功とは程遠い人間でも

・やりたいことを「やりたい!!」と心から言えたり

・心身ともに安定させて、もっと自分らしく生きていける

・家族がお金に困ってたら「金のことなら任せろ!」と頼りになるカッコいい兄でいられる

なぜこのような生き方を選択できるようになったのか。

どんな出会いがあって、何をしてきたのか?

これから一体何を目指しているのか?

これらを、嘘偽りなく綴っていきます。

LINEの方でも、友達限定特典として、

限定動画や記事、音声にして無料プレゼントしています。

「先に、詳細の内容が知りたいよ」という方は、

ぜひ登録して、情報を受け取ってください。

血だらけの光景が、僕の心の扉を完全に閉ざしました。

冒頭をご覧になって頂いて、薄々気づいた方も居るかもしれませんが、

僕のイメージが「陰キャでコミュ障な奴」という方も多いとは思います。

おおよそ当たっています笑

ついでに言うと、めっちゃ人見知りもします笑

ですが、幼少期は真逆の人間でした。

4人家族の長男だった僕は、元気いっぱいのやんちゃ少年でした。

保育園のお昼寝時間に、はしゃいで押入れに閉じ込められるぐらい、

存分にはっちゃけていました笑

女の子にちょっかいも出してました汗

こんな変顔しちゃう所からも、
想像できると思いますが笑

そんな幼少期も、グレ始めたのは5歳の時のことです。

当時の両親は毎日のように怒鳴り合いです。

母:「夜中に帰宅するのやめてって言ったでしょ」
父:「関係ないだろ」

「こんなまずい飯食えるか」とちゃぶ台をひっくり返す父。
「もう二度と作らないから」と負けじと言い返す母。

しまいに父は、
「誰が稼いだ金だと思っているんだ。」とさらにブチ切れる。

殴り蹴り、
「ガシャン」とガラスが割れる、
「ドンッ」と壁に穴があく、

血まみれになった母親が、泣き崩れるのを目の当たりにしてしまいます。

僕は耳をふさぎ、声を殺して泣くしかありませんでした。

心臓が締め付けられる感覚、

手の震え、

そしてガクガクと、足の震えも止まりません。

そんな光景を目にして怯える毎日を過ごした結果、

いつも元気で無邪気な、やんちゃ少年が、

感情を表に出せない人間になるのです。

心で思っていることを上手に表現できなくなってしまいます。

パニック障害を発症。それでも、家族関係の修復に僕は走り続けました。

心の扉を閉ざしてしまった僕が10歳の頃、

数少ない友人からの紹介で、”陸上”というスポーツに出会います。

足がそこまで早かった訳ではありませんが、

小6時点で、身長が170cmを超えていたのもあって、

障害物を飛び越えることだけが、唯一優れていることだと判明しました。

それから、僕のメイン種目は「110mハードル」になります。

大会で入賞したり、大きな大会に出られる様になると

親が一喜一憂し、喧嘩が減っている事に気づいたのです。

「ああ、常に成果を出さないと、自分は愛されないのか」

「家族の平穏も、保てないんだな」

そう強く思ってしまいました。 言ってしまえば、無価値感です。

ただ、当時の僕にとっては、

家族と過ごす不穏な時間が1分でも減り、笑顔が1回でも多く増えることが、

何より望んでいたことだったので、陸上というスポーツが生き甲斐になる訳です。

ただただ、良いタイムを出さなきゃいけない。

入賞しなきゃいけない。

責任を強く感じるようになってしまった、僕の精神状態はズタズタでした。

学生の時に、必ず経験したであろう全校集会の場。

僕にとっては、恐怖の時間になってしまいます。

何故かというと、

そこは長時間、身動きの取れない閉じられた空間でした。

すると、突然理由もなく心臓がバクバクし始め、

「キーン」という耳鳴りと共に、

視界全体にモザイクが掛かり始めて、ぼやけます。

そして大量の冷や汗が流れ、背中はぐっしょり。

自分が自分自身から離れていくような感覚で、

「このまま死ぬかもしれない…」

という恐怖に襲われながら、立ち続けることも出来なくなり、

その場にしゃがみ込んでしまいます。

このパニック障害の症状に悩まされていました。

もちろん、この状態を打ち明ける事などできません。

ただ目の前にある、「走る」という事だけに向き合い、

パニック障害さえも押し殺して、陸上というスポーツに1点集中でとことん励みます。

そうやっていたら、高校生の時にはインターハイにも出られるようにもなりました。

真夏の岩手県が、想像以上に暑くて溶けるかと思いました笑

飛行機に乗り、試合を見に行くついでに、

家族に観光をさせてあげられるきっかけ作りもできました。

それが何よりの試合で1位を取ることよりも嬉しかったことです。

ですが、親の離婚を機に、

金銭面を理由に、陸上を手放します。

生き甲斐が無くなってしまい、虚無感に苦しめられました。

勉強なんて、ちゃんとしてこなかったから頭も悪いし、

心を閉ざした僕は目つきが悪く、人も寄らず孤独で、

コミュニケーションさえも、うまく取れませんでした。

クラスの人気者が笑いをとっているのを横目で羨み、

常に人と比較しては、傷ついて

果たして、自分は生きてる価値なんてあるんだろうか。

そう心の中で呟き、生きることさえ苦しくなってしまうのです。

ただ幸運にも、社会人という目指すべきステージが目の前に残されていました。

燃え尽き症候群になってしまった自分を鼓舞し、重い腰を上げるのです。

「寝ないで働くぐらい無理をさせてしまった母親には、どうにか恩返しがしたい」

「その為にも、器の大きな人間へと成長したい。」

欲を言えば、社会人になったら、

家族だけでなく、もっと多くの人に役立てるような人間になりたい。

とは言っても特にやりたいことが無かった僕は、安泰と言われていた公務員を目指します。

奨学金制度で434万円の借金を負い、夜間大学に通い始めます。

やりたいこともなかった僕が、挑戦したフィジー留学

大学進学した僕は、5歳の時にこじらせた自分を出せないコンプレックスにもがき苦しみ、

うまく友達を作ることができません。

大学4年生になれば就活を控えていました。

僕は焦ります。

「ああどうしよう…自分には誇れる物がなにもない」

「自分に何か武器をつけなきゃいけない」

めちゃめちゃ焦っていました。

そこで自己啓発本・ビジネス書にのめり込んで行くのですが、

とある1冊の本と出会い、

大学3年生の冬、フィジーという国へ短期留学をする事に決めました。

フィジーのナンディ空港に着陸寸前…いよいよ1か月間の短期留学生活です!

初めての国際線、機内食、

日本語が一切聞こえてこない不思議な感覚、

日本円以外の貨幣に触れたり、

現地の外国人とカタコト英語が奇跡的に伝わったり、

すべてが初めてのことだらけで、何もかもが新鮮でした。

フィジーという国は、オーストラリアの右上にある島で、

実は、世界の幸福度ランキングで上位に居続けている国でした。

「幸せとは何なのか?」

「どんな会社で働くことが、自分にとっての幸せを意味するのか?」

本を読み始めてから、こんな事ばっかり考えるようになっていた僕は、

自分にとっての幸せが何か全く分からず、自問自答していました。、

だからこそ、その真相にすごく興味津々でした。

と言っても、不慣れな英語を使いながらのあたふたな毎日だったので、

1か月もあっという間に終わってしまうのですが…汗

少なからず、気づきはありました。

とにかく、みんなフレンドリー。

友達じゃなくても、通り際に握手を交わしたり、ハグしたり、

飲み屋街で流れる音楽に合わせて、ワイワイ踊ったりと、

何をするにも、笑顔が絶えなかったです。

日本人を目の前にしても、それが変わることはありません。

これが、国民の多くが幸せを感じている理由なのかな?

そう思いました。

日本人との温度差は激しく、最初は驚きを隠せませんでしたが、

同時に自分を出せるのって、羨ましいな~という気持ちにもなりました。

フィジーという国は、決して裕福な国ではありません。

僕自身、現地の食が合わず、1か月間ずっと腹を下していたので、

いかに日本という国が、食に恵まれているのかを痛感しました。

自分の状況下が貧しくたって、

今この瞬間、健康で居られることに感謝して目一杯楽しんで生きている

そんな様にも見受けられました。

帰国前日に英語を教えて貰った先生とパシャリ笑

「幸せとは?」

この問いに、特別な何かがあった訳ではありません。

周りにいる”人”であったり、自分の素を出せる”環境”を、探し出すことができれば

日本であっても、自分にとっての幸せを得られる事は可能なんじゃないか。

これからの人生に迷走していた僕にとっては、貴重すぎる気づきでした。

日本に戻った僕は、短期留学で得た、

「これから関わる人物がいかに大切なのか」

この教訓を基準に、就職活動を始めます。

僕の価値観とか性格をすごく尊重してくれる人事の方との出会いをきっかけに、

公務員の道を辞めて、一戸建て住宅を販売する民間の会社に就職します。

2500万近い高額新築です。
妹の家も担当させて貰いました。

ですが、社会という道はそんなに甘いものではありませんでした。

うつ病と不治の病をこじらせた、家売るオトコ

「カタカタ、カタカタ・・・」

営業マンになった僕は、パソコンを叩き続けます。

気づいたら夜の23時。

デスクには、1枚の付箋がありました。

「お疲れ様。明日10時に見積り使うから、作成して置いて」

上司からの断れない仕事に、嫌々手をつけていた毎日だったのです。

知識・スキルが乏しい新入社員に、容赦のない上司、

理不尽な言動や、月280時間を超えるブラック労働を強いられストレスに耐え続けた結果、

当時は口が裂けても言えないほど、ショックでした泣

うつ病を発症と、群発頭痛という1年半に1度必ず訪れる激痛に苦しみ続け、

3年3か月をもって、退職してしまいました。

社会人になって器の大きな人間になるんだ!

そう明るい未来を思い描いた末路が、精神も身体もボロボロでどん底状態です。

ちょうどその時に、大学の時に買いまくっていた自己啓発本を読み返していた時に、

知人の紹介で、97万円の自己啓発の高額商材に手を出してしまいます。

そこで、芽生えたものが

”中学生へ向けた目標設定・達成できること様な環境の場を非営利団体として設立したい”

という想いでした。(すごく漠然としていますが笑)

それは、人生の延長線上に、頑張れる何かが無いと人間は生きていかれない

僕の実体験から、そう強く思ったからです。

きっと僕が成し遂げてきたものは、自己流でも達成できるものでした。

・親の目を気にして、9年間の時間を陸上に費やしたこと

・掛け持ちのアルバイトでお金を貯めて留学に行ったこと

・馬鹿だった僕が、就活で本命以外全て辞退する誠意を示して、なんとか民間の会社に就職できたこと

要は、自分の力だけで登れる山しか見ていなかったからです。

エベレストの頂上に行くには、頂上まで登るための知識やスキルを備えたコーチ、

辛いことも共有して切磋琢磨できる仲間がいなかったから途中で死んでしまいます。

一人では当然、ゴールに辿りつくことなんて出来ません。

素を出せず信頼できる仲間も、スキル知識才能人脈0の僕でも

失敗経験をしながらも、成長する姿を見せられる場、目標を設定する方法、実際に困難な目標でも達成する方法を伝授できれば

これからの未来を創っていく子供たちがエベレストの様な高い山を登れる経験・体験をするきっかけづくりなるんじゃないか。

母子家庭や貧しい家庭で、費用面でレベルの高い教育を受けられない。

そんな子供たちが、この環境で学べる場を提供したいという所から非営利が浮かびました。 

その為にも自分自身が、知識やスキルをつけてもっと成長していかなければならない。

というので、退職前に作りまくったクレカ8枚を駆使して、自己啓発に自己投資しまくります。

ただ、「自己啓発という分野にお金を投じても、リターンが返って来ない…」

気づいた頃には、完全にアウトでした。

所持金が2140円。

借金総額393万円。

月の返済は約20万円。

頭が真っ白です。こんなはずじゃありませんでした。

そこで、ようやく借金を返さなきゃいけないという思考に切り替わります。

一生分の運を使い果たし、出会えた1人の男

当時の僕にとっては、スッと心に入ってきたメッセージでした。

借金完済するための手段を探している時に、この1つの広告に出会いました。

ビジネススクールを運営する、冷川さんという1人の男性と出会います。

そこでは、

使う時間を最小限に抑えて、将来の不安を無くす資産の構築法

ネット広告に投資をして利益を得る、

ネットビジネスの詳細について知ることになります。

消費者金融からの電話に追われ、焦りと心に余裕が無い状態ではありましたが、

当時は、将来の不安を無くす資産を構築法という話に正直うさん臭さを感じました。

だけど、嫌な事に縛られる人生はもう終わりにしたかった。

会社を辞めたのも、心身ともにズタボロになり、

自分を押し殺してまで、生きる毎日から抜け出したいから。

もっと自由に生きていけるようになりたい。

藁にもすがる思いでした。

ここから僕は、残り少ないキャッシング枠で36万円を支払って、そのビジネスを学び始めます。

ネット広告というのは、YouTubeで例えると、

動画の最初に出てくる、5秒間の広告って分かりますか?

その広告もネット広告の1種です。

広告用に出す2、3分の動画を制作して、

広告費を投じることで、利益を得るというビジネスです。

僕はそのビジネスを始めてたった4か月で、1度に28万の利益を叩き出しました。

実は、このネット広告に投資をするビジネスにおいては、

1度利益を出てしまったら、人生レベルで勝ちゲーなんですね。

それは、利益を再投資するだけで勝ち組になれるというロジックを、

ビジネススクールで教わっていたから、正直ホッとしました。

「あ、これでやっと借金を完済できるんだ」と肩の荷が降りた瞬間でした。

そんな喜びもつかの間でした。

28万円の利益も、結局、借金の滞納分に当ててしまうのです。

月給21万円も、毎月約19万の借金返済でマイナス状態に陥ります。

・コンビニで水買ったら120円かかるから、水道水にしよう。

・バスに乗ると210円かかるから、片道1時間かかる職場も自転車で通勤。

・コンビニでお金を下ろすと、手数料がかかるから引き出せない。

やることなすことお金がかかることにイライラしてしまうほど、

心がすさんでいました。

この状況を打ち明けることなんて、装ってしまう僕に出来るはずがありません、

そんな、心が折れかかっていた時に、

僕が入っていたビジネススクールを運営している講師の生みの親というか、

講師の師匠とお話する機会がありました。

恩人の言葉に、涙がとまりません

僕にとっての恩人は、ビジネススクールを運営している講師の生みの親です。

5歳の体験談をきっかけに形成された僕の殻を打ち破ってくれたのです。

お話した時は、僕がYouTubeに上げた動画に対して、

「自分に噓をついてまで発信する必要はないよ」

「自分のありのままを発信して、付いてきてくれる人だけでいいの」

良い意味で、僕の素性を見透かされていました笑

僕に対して思ってことを、嘘偽りなく、ありのままで伝えてくれました。

ふと気づけば、僕の方から、

借金のこととか、

パニック障害、うつ病の精神的な病であったり、

無知で無力なことがバレたくないこととか、

その方には自然と、自分の本音を話すことが出来ていたんですね。

今までは、接点のある親戚、切磋琢磨してきた部活仲間、数少ない友人、前職の上司、

これらの関わる全ての人から、言われる事は全く同じでした。

「甘えるのが下手だよねー」

「なんか怖くて話しかけられない」

「なんで無表情なのー」

「何考えてるか分からないんだけど」

完全にコンプレックス化してしまい、言われるたびに

ナイフで胸を貫かれたように苦しかったです。

きっと、もう治せないし、一生そのように言われ続ける人生だと、

正直、諦めかけていました。

ただ、その方からは真逆の事を言い始めるのです。

「いやー。その不器用さが最高なんだよねー。信用できる」

???

誰からも、肯定されたことがなかったので、

正直わけが分からなかったのですが、

不器用だからこそ、

1つの物事に対して後先考えずに、全力を注ぎ込めるのが僕の強みだったみたいです。

ずっと、変えなきゃいけない部分だと思っていました。

それは、誤りだったのです。

「分かる人にとっては分かるんだよ」

「それが信じられる要因なんだよね。」

僕の心理も筒抜け状態でした笑

ぶっちゃけ話、目にジンワリ涙が滲むほど嬉しかったです。

そこで、どんなことがあっても、一生ついていきたいなって思いました。

僕が情報発信を続ける理由

それは残りの人生で、僕が、

すべての時間とお金を投じていきたい居場所が見つかったからだと思います。

僕はこの「師」との出会いで、人生が540℃変わりました

180℃じゃ表せないくらい、一周回っちゃうくらいに変わりました。

一生分の運さえも、使い果たしたと思っています。

お金で買えない程の、

・”師”との出会い

・自分を大きく成長させてくれる環境

普通に暮らしているだけでは一生聞けないであろう価値ある情報

これらを知ったからといって、傲慢になる訳ではありません。

思考停止して「毎日が夏休みだー!」

こんな、浮かれた気分で生きていきたい訳でもないです。

というのも僕自身、借金を抱えたことで、

毎日3~5回、催促の電話が来たり、

家に届く催告通知書面を母親に見られて言い訳する状況を脱却したいだけで、

そもそも、お金には興味がありません。

きっと、素の自分でいれる”環境”や”仲間”を探して居ただけかもしれません。

もちろん時間はかかると思います。

だけど、その人と一緒に事業とかできるようになりたい一心です。

僕が生きている内に、必ず実現させる。

そう心に誓いました。

近い将来には、もっと胸張って人の役に立てる人間になりたい。

だから地に足つけて、今僕ができることからやっています。

だから、ネット広告に投資をすることを今も続けていますし、

借金を今年中に完済して、

寝るとき以外の時間を、全て自由に使えるようになって、

人に役立つことに全力で取り込める環境にする。

あとは、仕事も遊び感覚で楽しみながらできる。

そんな世界に身を置けることを、今からワクワクしています。

僕はこれから真っ先に失敗して、どんどん痛みを味わって行こうと思います。

もちろん、お金と時間をかけてリスクまで背負って行動した結果、

得られた有料級の情報というのも、

LINEを登録してくれた人には、無料でどんどん公開して行こうと思います。

もちろん、直近の借金返済の過程についても包み隠さず公開して行こうと思います。

過去の過ちも、更生していく過程を見せていくことで、

うさん臭さとかもなくなるでしょうし、

何よりそれを伝えることで、

僕の考えとか価値観に触れて、そこに共感してくれる人だけが残ってくれればいいなとも思っているからです。

そんな仲間を、僕の命が存在する限り大切にし続けたい。

だから、これからも情報発信していきます。

ぜひ僕の船に乗って、情報を受け取りたいよという方は、

LINEに登録して情報を受け取ってください。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

カテゴリー